君に、ありがとうございます。

好きなアイドルについて。

担当ってなんだろな。


ブログ上でいただくコメントやメールフォームからのメッセージ、一緒に話す機会のある嵐友さんからも、「あなたは本当に大野担当なのか?」といわれます。私が「嵐の中では大野さんが好きかも・・・!」と思いはじめたのは、ファーストコンサートで真っ赤なスーツに身を包みcoolを華麗に踊る大野智さんを見てから、なのですが(@ビデオでです)、それからずっと、というか途中で嵐そのものから離れてしまいましたが、それでもその間も、今も、ずっと、その当事は知らなかった言葉だけれど、「私は大野智担当」です。


というわけでその心境、というか、今の気持ち、スタンスというか、そういうのを書いてみます。国立終わってからちょっとまとめようかなと思っていたんですが、ずっと先延ばしにしていました。ですがやはりこれは鈴木の視点、鈴木の思う「担当」というものを踏まえたうえでのことなので、回りくどかったり言い訳っぽかったりするかもしれないな、と思います。しかしこれが私の思っていることなので、2010年の今ここでまとめてみる。

そして大変恐れ入りますが、って書くほどそんな重大なことじゃないよ!という感じではありますが、自意識過剰になって、恥ずかしながらも先に書かせていただきますね。このエントリに関するコメント、メッセージ、ご質問などがありましたら、お手数ですがメールフォームよりお願いします。理由としまして、自身が思う事ではありますが、この「担当論」や「どのメンバーさんをひいきにしているか」という類のお話しは、とてもナイーブで、皆様それぞれの持論やスタンスやくくりやボーダーラインがあると思っています。なので、いただいたメッセージに対してお返事をさせていただく際、直接的に送信をさせていただきたいということが1つ。
もう1つは、もし私の担当論のエントリに皆様からメッセージをいただけるとした場合、やはり「その方の担当論」や「鈴木の担当論に対してのメッセージ」が含まれる場合が多いと思います。さまざまな担当論が1つの場所に集まるという事になり、結果『「鈴木の担当論」以外の担当論に対するメッセージ』をいただく可能性もあると思います。ファンのスタンスはそれぞれですし、色々な担当論があると思うので、コメントおよびメッセージの収集をつけられなくなるかもしれない、という予想があります。
私は私の担当論に関してのお返事をいたしますし、このブログのメッセージのやり取りで皆さんが色々お話しをしたりするのは、この場がある意味の1つかもしれない、と大げさに思ってとても嬉しいんですが、まぁこれは話を超大きく考えての予想ですということで(苦笑)可能性はあるだろうと思い、書いておきます。先回りの心配ばかりですが、なにとぞご理解いただければと思います。

メールフォームがご利用できない方は、nnnstk_rod☆yahoo.co.jpまで直接メールをいただければと思います。返信が必要ない方などいましたら、メッセージ内にそえていただければと思います。短くても長くても、ほんとお気軽にどうぞです。

・・・堅苦しいな^^;というわけで、気軽に読んでいただければ、とは思うのですが、こういったお話に敏感・・・というか、やはり「鈴木の担当論」となりますので、鈴木のみに当てはまることだと思います。この「担当論」に正解はありません。敏感、という表現も妙ではありますが、読まれたくない方などは、回避もしていただけるよう、主文は閉じており、また携帯から観覧される方に対して改行を多めにいれた箇所から書いています。


主文をはじめるまえに。このエントリを書こうと思ったきっかけは冒頭にも書きましたが、結論よりも先頭に書き残しておきたいことがこれです。ブログタイトルにもあるとおり、鈴木が続けているのはやっぱり、「アイドルグループ嵐のファンのブログ」です。もっと詳しく書くと「アイドルグループ嵐のファンである鈴木のブログ」です。そうは見えない時があるかもしれないけど、自分としてはそういう気持ちで続けていこう、「嵐にたくさんありがとうっていいたい事があるしそれは続くだろうから」と思いながら、今までずっと書いてきました。それを大前提として、自分なりのお話しをまとめておきます〜。






























鈴木の思う担当論。鈴木は、「私は嵐ファンなんだし、ここは嵐ファンブログなんだから、別に担当とか極論誰でもいいんじゃん」という気持ちと、「だけれど担当というのは特別だし、私は大野さん担当だし!」という気持ちが4:6ぐらい、という自分でもめんどくさい人です。もっとふっきって8:2ぐらいが私にはいいんじゃないかと思うんですけど、なんかかたくなに思うところもある。担当さんって言葉以外によい言葉が見当たらないし、私はこの言葉の意味ってぼんやりとしか知らないのですが、「ひいき」という言葉よりはしっくりくるので、私の辞書にある「担当」を引いたものをご紹介します。


・なんだかんだでやっぱり一番好き
・好きなことは変わらないだろうな、という揺ぎ無い確信のようなものがある
・「今褒めておかないと、」と思わない。なぜならいつだって褒められるから
・好きなところと同じぐらいに、もっと頑張ればいいのに、って思う事もたくさんある
・「この人には絶対裏切られない」と頑なに思っている部分がある


これが私の担当論。これを理由として、大野さん担当だなぁ、とよく思います。

ここからは、少しだけ具体的に。

私の大野智さんに対するスタンスは、どんどん変化していきました。多分ものすごく穏やかになったし、その分褒める回数は激減したと思う。けれど一番変わらないのは、大野智さんの踊っている姿に対して私は絶対裏切られることはないんじゃないか、と思い続けていること。やっぱり私が大野智担当でありつづけている一番のポイントはきっと「彼の踊っている姿」と「彼の動いている姿」なんですよね。それは、じゃああの踊りがあれば性格とか顔とかどうでもいいのか、彼から踊りがなくなったらどうでもいいのか、という事とは別次元で事実なのです。

あの童顔で、あの小さめの身長で、そしてどんなにめまぐるしい環境にいたって一番近くにいるメンバーが「いつも変わらない」と表現する大野智というその人が、あんなに魅力的な動きをするという部分にどうしようもなく惚れているのです。愛され守られることが似合う、けれどずっと変わらずにそこにいる、という事を「普通の人だよ」という言葉を発しながら、アイドルというものを生業として、時には眼の下に二重三重にくまをつくり、時には食べても痩せてしまうぐらいに時間を費やしながら生活している人。
大野さんの事を知るたびに、そんな彼があんなダンスをするという事が眩しく見えて仕方がないのです。
一番最初はきっとそんな気持ちはあまりなかったかもしれません。けれど、見つめれば見つめるほどに強く強くそう思ってここまでとりあえず来ています。リーダーリーダーってかまわれて、猫背で、自分の環境を幸せだと言う大野さんが、私が眼に出来るテレビの中で素敵にターンをした瞬間、ため息をつかずにはいられません。人にやさしいのに自分に厳しくて、でも人のペースは気にならなくて、ファンのために個展を開いてくれた、10周年のアニバーサリーツアーで「まさか10年後ここにたっているなんて思ってもみなかった、あっというまに10年たちました」って涙を流した大野さんが、自分のお金で手に入れられるDVDの中でゆらりと重心移動した瞬間、胸がぎゅっとなります。
お母さんが送った履歴書から始まった大野さんの芸能生活。偶然で奇跡だらけの中にも大野さんが頑張ってきたからこそ受け取れるものが確実にたくさんあって。大野さんの意識と力で動く体、バックグランドにも私が大野さんを見つめ続けていたいと思えるものが詰まっている。動きに惹かれてしまった事が出発点だからか、巡り巡って、どうしても大野さんのその魅力から離れる事ができないんです。他のメンバーとの違いはここなんですね。魅力的な面もちょっと不思議に思う面も、最終的には彼自身に戻ってきて、かなわないなぁと思ってしまう。だからこそ大野さんになりたくて仕方がない。そのものになりたい。彼のように生きたいとかではなくて。存在そのものが好き、というと大きくなってしまいがちなのですが、『動きそのものが、大好きで仕方がなくて、そしてその大好きな理由が、大野さんの存在そのもの』という感覚です。言い方がよく聞けば相当乱暴になってしまうかもしれませんが、「あの大野さんがあんな動きをされるのだ、」という部分がどうしようもなく好きです。うーん・・・ここまで書いておいて自分でもどういえばいいか分かりませんが、コレが一番近い。


きっと私が大野さんの担当ではなくなってしまう、ということは多分、ないと思っています。それは自分勝手にですけど、担当であるかそうでないか、を決めるのも自分だし、何を持って担当というのかも自分で決められると(私は)思うので、今は断言できる事です。


そして、褒める回数が減った=エントリにあがる回数も減ったということになると思うのですが、それは大野さんそしてニノさん以外にあんまり興味を持てなかった私が、嵐というグループを知っていったこと、松潤も相葉ちゃんも翔ちゃんも、そしてニノもどんどん知っていって、大好きになったというのも深く関わっています。大野さんがかわいくて素敵だなってときももちろん素直にエントリあげているつもりではあるんですが、他メンバーのことはなんだか褒めたがりなんだと思う。大野さんに関しては、その「担当である理由」がもう揺ぎ無い感じなので、「褒めたがり」がない、という感覚というか。今褒めなくたっていつだって褒められるのだし、という気持ちが一番近い感覚なんです。「裏切られる事はないな」って完全に自分勝手に思い込んでいるからだと思います。


私はこのブログで、自分自身が書く自信がない話題とか、あんまり明るい方へ持っていけないかも、と思う話題についてはよく「書かない」という選択肢を選んだりします。好きなこと、面白かった事だけ書いたり、自分が何度も思いなおしたいことをエントリにあげたりします。ファンのスタンスはそれぞれだし、自分が思うとおりにやればいいだけではありますが、自分のめんどくさい性格もあってか、ここではあんまりつっこんだことを言った事はないかもしれません。

私の担当持論として、「好きなところと同じぐらいに、もっと頑張ればいいのに、って思う事もたくさんある」というものがあります。私にとって大野さんは、ちょっと黒くなったらええって思っちゃうし、発言少なかったらもっとしゃべればいいのに、って思っちゃう人なのです。結構真剣に。他4人にはあまりそういったことを思わないし、鈴木自身がブログでそういったことを避ける傾向があるから、ますます大野さんのエントリへの登場回数は減っていったかと思います。大野さんにいつもそう思っているのか、というとそういうわけではないと思うんだけど・・・さぁどんどん言い訳っぽくなってきましたが(苦笑)これが本音。言われて初めて「そういや大野さんの事あんまりエントリにあげてないな・・・」と気づくような感じです。これからもきっと、どこかでまたテンションが変わったりすることもあるとはおもうけど(笑)そういう感じで進むと思います。最初の頃は、大野さんの魅力にさらにぐん、と沈んだばかりであることもあって、相当大野さんに関してエントリあげていた気がしますが。


好きになるきっかけも、担当論もいろんな形があると思います。私の今の現状は、こういう感じです。いまでもやはり言葉で「こうだ!」ってうまく表すことができないですがとりあえずまとめ!嵐、ありがとうございます。約2年半続いていますが、これからもこういう感じだと思うんです。


私ってオタク気質だしはまるとなんか「深すぎてひく」ってよく友達にも言われるんですけど、だからこそ好きなものはあんまりこれ以上はある意味増やしたくないなって最近本気で思うんですけど、それでもやっぱり、ものすごい突拍子もない事をいえば、「自分が愛するものがどんなに細かくて小さくて自分にしか分からないものでも、それが続いていく限り私はずっと生きたいって思い続けられるし、しんじゃいたいって思ったとしても本気でそれは選ばないかもしれない」ってずっと思い続けているんですよ。嵐にこうやって出会う前からも、たとえばコーラとか休日の前夜の夜更かしとか花屋から帰ってくる瞬間とか洗濯が終わってからっぽのかごの中に一番最初にいれる新しい洗濯物とか、毎週読める週間少年ジャンプの大好きな漫画の連載だとか、そういうのが愛しいという気持ちが続けば、私の体が元気なうちは自ら最後は選ばないだろうなって。もう担当論とかどこいったよ、って感じで鈴木の心情まるだしエントリになりましたけど(ほんとにな)嵐もそうやって、私にとって本当に愛しくて仕方ないものになってしまって、勝手に振り回されてぐったりって時でも5人の楽しそうな笑顔ってやっぱり救ってくれる。もっと欲しい、ちょっとでいい、わがままな欲求を抱えながらも、じゃあ0でいいのかっていわれると激しくNO!だし、だからって出ていればいいでしょってことでも絶対ないんだ。


何十年も先の私が「いつまでも」の歌を聴きながら思い浮かべる出来事、これからもたくさん、勝手ながら一緒に感じて生きたい。なんだか最近、それがゴールのように思えてきてならない。いやゴールってなんだよ!「いつまでも」にとってもいい迷惑!だろうけど。これからも末永くよろしく!!!という事で、鈴木の担当論でした。長・・・